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先般、学生に、「学習指導要領はどのように日本の英語教育に役立っているか」という内容でレポートを書かせた。その内容は自由に書いてよいと指示した。例えば、「全然役立っていない」とか「むしろ妨げになっている」といような趣旨でもよい、と指示したのである。学生が自由に思っていることを書いてもらった。そのうちの一つを紹介したい。きちんと考えてあるいいレポートだと感じたのである。いくつか内容を省略してある部分もあるが、大意は以下の通りである。


学習指導要領は、日本の学校教育における指導の基盤の一つを担っていると考える。学習指導要領において、文部科学省が示している方向性が教育現場で日々指導している教員の指針になっている。もしも、学習指導要領で示される方向性がないとすれば、教育方針は教員個々の指導観や地域ごとの特性に委ねられてしまう。そして、各地域、さらには学校間においても大幅な格差が生じてしまう。これでは、子どもたちが平等に教育を受ける権利が保障されているとは言いがたい。

こうした点から見ても、学習指導要領は日本の英語教育に大いに役立っていると言える。さらには、教員自身の英語力にも個人差があると思う。例えば、留学経験がある人から、そうでない人まで、教員の実態は様々である。そんな個人差がある中で、教員個人個人の経験や思いだけで、その人ごとに、指導する内容を変えていては、日本全体の学校間格差が大きく広がってしまう。これでは、将来子どもたちが社会に出た時には、日本中のあちらこちで人々の物事の理解や経験に格差が生じてしまうことが予想される。

学習指導要領では、英語や外国語活動の学習は各学年において何をどこまで指導しなければならないのか、またどのような意図で指導要領が組まれているかなどの方針が明確に示されている。だからこそ、たとえ、教員の英語における力量や経験に差があったとしても、その差が是正されることになる。それゆえに、学習指導要領は、教員が指導方法を考え、児童生徒に英語教育を行ってゆくに当たって欠かせないものだと言える。


この学生は、教育における機会均等に焦点を合わせて、それを可能にするものとして、学習指導要領の存在意義があるとしている。個々の子どもたちの特性を伸ばすとか、地域特有の特性を伸ばすという点ではいろいろな問題点はあるかもしれないが、やはり機会の公平さという視点からは学習指導要領は必要なものである。

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