(3)学習指導要領はなぜ必要か答えなさい。(あるいは、不要と考えるならば、その理由を答えなさい。)という設問を期末テストで行った。ここで、下に、その解答例の一つを示す。評価は80点とした。
学習指導要領とは、学校教育法に基づいて定められていて、各学校でカリキュラム(教育課程)を編成する際に基準となるものである。この基準は、小学校、中学校、高等学校ごとに、それぞれの教科の目標や大まかな教育内容を定めているもので、これらを土台に各学校はカリキュラムを編成しているのである。
では、この学習指導要領をなくしてししまうと、学校教育(特に、英語教育)はどうなるのだろうか。基準とも言える土台をなくしてししまうと、各学校はとても自由にカリキュラムを編成できるようになると考えられる。これらは一見すると、とてもよいことのように思えてしますが、自由にカリキュラムを編成できるということは、英語という教科そのものをなくすしてしまう可能性さえあることを意味する。
高校へ進学した際に、生徒一人一人の学力レベルに大きな差が生まれてしまう。これでは、高校では、各生徒に合ったレベルの授業ができない。レベルにあった授業ができないということは、生徒に取って非常に問題であると考える。例えば、高いレベルの授業にどうしても着いていくことができない生徒がいたとする。その子が着いていけないことに劣等感を感じて自信を責めて学校に行けなくなってしまう例だってあり得るのだ。そんな理由で生徒に英語や学校そのものが嫌いになってもらっては、学校教育の意味がない。
さらに言えば、近年、多くの生徒が放課後に塾に通い、精力的に学習している時代である。そんな子は英語がますます力がついてゆく。塾に行けない生徒のためには、学校現場は基礎的な知識を大切にして授業をするべきではないだろうか。自由な学びはとても素晴らしく魅力的に思えてしまう時もあるが、生徒たちの安定した学習環境を守るためにも、学習指導要領は必要であると考える。
上記の解答は、学習指導要領は、各学校の裁量が極端な方向にぶれることを是正するという役割があると述べている。(私見だが、平均的な日本人を作り出すこと、特に優れてもいないが、特に劣ってもない日本人を生み出す効果があると述べているのだ。)
学校によって、英語を全廃したり、全教科を英語で授業するという判断をするかもしれない。それはそれでいいが、中学から高校への進学、転校など、でまったく新しい学習環境に接したときに、学習の接続ができなくなる。そんなことを考えると均一な教育を提供することがどんなに大切なことであるかは分かる。
ただ、同時、生徒の個性、尖った部分を輝かせるためには、ある程度の型破りの教育は必要かとも思う。その教育と、学習指導要領の精神をどのように両立させるか非常に難しいことである。