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学生の答案を今読み返している。「自由英作文とは何か?」という質問に対して二人からの答えを紹介して、その内容を考えてみよう。AとBの二人の学生の答案は以下の通りである。
Aの学生
自由英作文とは、文法よりも 文の長さや流暢さを大切にした英文を児童生徒に書かせることである。文が正しいか正しくないかではなくて、たくさん書かせることが大切なのである。教員は児童生徒が書いた作文に返事(コメント)を書くことがよい。たくさん工夫しつつ書くことで、基本的な文から応用文まで様々な文を書く力を身につけさせることができる。
自分が中学生の時に、先生よっては自由英作文をよくおこなっていた。自分が一生懸命に書いた文は、例え、文法が滅茶苦茶でも、先生の直しによって真っ赤になって返ってくることはなかった。その代わりに、きちんとした英語で先生からのコメントが入れられており、自分の頑張りが認められたようで、とても嬉しかったことを今でも覚えている。
私は英語の授業があまり好きではなかったが、自由英作文だけは好きだった。誰しも自分の頑張りを認められ評価されることは嬉しいことだ。自分が教員になったら、きちんと評価したいと思う。
Bの学生
自由英作文とは、頭の中を英語で一杯にして、文法などは気にせずに質より量を強く求める指導法である。日本人は書く前に考えてしまう。それは日本人のよくない点である。それよりも、書きたいことを書けるだけたくさん、まず書いてみるということを大切にした授業であり、先生は訂正は絶対にせずに、文法のことではなくて、内容についてコメントしていくことがポイントである。
書くということの恐怖、間違えるということの恥ずかしさを克服するにはこの自由英作文が最適の方法である。質というものは、たくさん書けるようになってくると自然と生まれてくるのであるから、この場合は、気にならない。
ただ、この学習方法というのは中級のレベル以上で英語力がある生徒に適している。ある程度の基本的な文法や単語が分からなければ自由英作文は書くことはできない。
二つの学生の答案へのコメント
二人の学生ともそれぞれ独自の視点から述べている。
Aは「児童生徒」という言い方をしていることから、小学生にも自由英作文は可能であると考えている。Bは「生徒」と述べているように、小学生では難しくて、あるレベル以上の中学生から可能と考えている。このあたりは、正解はないのであり、自分が向かい合った子どもたちの力量や熱心さから見て判断していけばと思う。
Aは自分自身の体験、自由英作文を課せられた体験を語っている。そこから、きちんとしたフィードバックがあれば有効な授業法であると述べている。
Bは「量がいつの日か質に転換する」ことを述べている。英語の特徴は、毎日多量の英語を受けていると、かならず質に転換する点である。その意味では、量から質への特徴をよく生かした授業は自由英作文を利用した授業であることを強調している。
間違いをまったく訂正しないのかという点に関しては、Bは「行わない」と述べている。Aは「先生からのコメント」があったとあるので、非常に目立つ文法的間違いは訂正したのではと推察される。
まとめ
いずれの解答も適切、不適切ということは言いがたい。それらは授業の中で実践することで、適切であるか不適切であるかが決まってくるものである。学生の段階では、自由英作文という手法の存在を知っておくこと、そして中高で受けた経験があるならば、どのような点が長所で、また短所であったかを思い出すこと、これらが大切である。