2019-04-17
今日の英語科教育法の授業時間だが、新しい提案を学生にした。それは、授業はどうも私からの一方通行になりがちであるので、授業を双方向からのやり取りにしたいという内容の提案である。つまり、質問や私の説明の補足説明するために挙手をして発言してくれた学生にはポイントを与えることにした。
そのような提案を授業中に行ったところ、大多数の学生が賛意を示してくれた。とにかく、学生達は将来は教員になろうとしているのである。学生は教員として、生徒には積極的にコミュニケーションをとろうとする態度を身につけてもらうからには、まず将来の教員としての学生達から積極的に発言してもらいたい。
西洋社会では、積極的な発言は歓迎される。何もいわないで静かにしていると無能と判断されてしまう。自分の能力は他人から見つけてもらうのではなくて、自分からアピールする必要がある。腹芸、男は黙ってサッポロビールの価値観は日本外では通用しないのだ。そんな態度を子どもたちに涵養するには、まず将来の教員たる学生たち(つまり、英語科教育法を受講している学生達)から態度を変えてゆく必要がある。

補足(2019-04-22)
次のようなTwitter を見つけた。貼り付けておく。
「日本とドイツの学校で、一番の違いは何だった?」
2カ国の学校を経験した友人に尋ねた。
彼女いわく、
「日本では、先生から教えられたことを多く覚えれば良い評価。
ドイツでは、自分の考えを持って発言できないと良い評価はもらえない。
良し悪しは分からないけれど、根本が違うと感じた。」
— 越智 達也 | Tatsuya Ochi (@octty_23) 2019年4月16日
日本の教育界では伝統的に教員から生徒への知識の伝達と思われている。しかし、伝達すべきことは知識ではなくて、知識を得るための方法論、考えからである。それには、生徒や学生からも積極的な発言、教員との双方向のコミュニケーションが大切である。次のツイートも興味深い。
「魚を与えるのではなく、魚の捕り方を教えよ」
これは、中国の格言である。
与えられ続けると、自分で魚を捕ることはできない。
「魚を与える」のではなく、魚の捕り方を「自分で考える」よう促す。
まさにそれが、“生きる力”につながる。
「魚の捕り方」を自分の頭で考え、行動できる力が大切。 https://t.co/VYRbun2KlV
— 越智 達也 | Tatsuya Ochi (@octty_23) 2019年4月14日