PISAとTIMSS
国際的な学力調査として、PISAとTIMSSの二つが有名である。PISAの読み方は、濁って読む「ピザ」と濁らない読み方である「ピサ」の両方があるが、日本ではOECD本部の方々の読み方である「ピザ」にしたがって濁って読まれるようである。TIMSSは「ティムズ」と濁って読むようである。さて、この二つは有名な学力調査であり、各国の教育機関はこの値を非常に気にしている。TIMSSは数学・理科の学力を測るのであるので、ここでは省く。
PISAについては文科省のサイトには以下のように記されている。http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/gakuryoku-chousa/sonota/1344324.htm
国際学力調査(PISA)
OECD(経済協力開発機構)が行う生徒の学習到達度調査(PISA)である。
目的: 義務教育修了段階(15歳)において、これまでに身に付けてきた知識や技能を、実生活の様々な場面で直面する課題にどの程度活用できるかを測る。
内容: 読解力、数学的リテラシー、科学的リテラシーの3分野(実施年によって、中心分野を設定して重点的に調査) あわせて、生徒質問紙、学校質問紙による調査を実施。
対象:調査段階で15歳3か月以上16歳2か月以下の学校に通う生徒(日本では高等学校1年生が対象)
調査実施年:2000年から3年ごとに実施。
PISAの理念
概要
PISAは先進国の教育に大きな影響を与えている。PISAとは、OECD (経済協力開発機構)が実施する国際的な学力調査(Programme for International Student Assessment)のことであり、日本では「学習到達度調査」と訳されている。PISAは2000年以降、定期的に複数の教科、複数の学年でサンプリング調査が行われている。PISAの学力観は、個別の国の文化や伝統などに左右されない「標準学力」、つまり「市民生活を送る上で 必要な基本的な学力」である。
この学力は、国の文化や伝統などに左右されない必要な基本的な学力であるべきだ。 この中立的な学力を測ることによって、 学力の国際比較することが可能になる。このPISAの「標準学力」は 「Key Competencies(主要な学力)」と呼ばれている。これは1997年以来5年間にわある大規模な調査や検討を経て作成されたものである。これらのキーコンペテンシーは英語教育の目的や目標、あるいは 指導法を考える上でも重要である。それらは以下の3つである。
(1)道具(例:言葉や技術をインタラクティブに使う)Use tools interactively (e.g. language, technology)
(2)異質な集団で交流する(interact in heterogeneous groups)
(3)自律的に行動する(Act autonomously)
道具をインタラクティブに使う。
これらのキーコンペテンシーがそれぞれの能力が相互に織り交ぜられ、たがいに密接な関係にある。まず個人が自分の身の回りにある人やものと相互交流するためには様々な道具の存在を理解し、それらを使いこなす能力が必要となる。その道具とは、 情報機器のような枓学技術であり、ことばを用いることのできる社会文化的能力である。ことばも道具と考えられている。道具は、使うことが前提である。つまり、生活をする上で、ことばを道具として使うこと ができるかどうかがここで問われているのである。この「ことば」は、母語でもあるし、外国語でもあることを抑えておきたい。
異質な集団で交流する。
第2の能力のポイントは、「異質な集団」にある。異質な集団とは言語的・文化的背景の異なる人々が集まる集団のことである。この異質の集団では、行動規範、思考回路、価値観などが諸個人あるいは 諸団体によって異なるので、意見調整が必要となる。ここでも、相互交流する ためには他を理解し自己の意見を発信する言語能力や文化理解力が必要である。 日本的な腹芸では通用しないことに注意するべきである。これは低コンテキスト社会から高コンテキスト社会への移行をも意味している。
自律的に行動する。
多様化する社会の中で、自己の生活管理に責任もち、コントロールして行動する自律的な能力が求められている。
これらの核心にreflectivenessという理念がある。それはReflective thought and action (省察的な思考と行動)のことでもある。個人の考え方だけでなく、思考、感情、社会的関係を含め、人がどのような方法で自分の経験を構築しているかについての考察することである。それは、メタ認知能力や創造力の活用、批判的な物事の捉え方(critical thinking)などを 意味することばがreflectivenessである。この用語は、言語教育における学習者自律のための重要なキ一ワ一ドの1つである.