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ソビエトの発達心理学・言語学者のヴィゴツキーの内言と外言という概念は興味深い。
外言は、通常の音声を伴って、伝達の道具として使われる社会的言語のことである。それは、主語中心の構造をとり、文法的に整合性を持つというのが、外言の特徴である。内言は、音声を伴わない内面化された思考のための道具としての言語である。述語が中心的に意識構造をとり、圧縮や省略が多く、単語同士が非文法的に結合している。
幼児の言葉はコミュニケーションをするために他者に向けられた外言の獲得からはじまり、やがてそこから自己に向けられた内言へと分化してゆく。自己中心的言語はその過程上にあるとヴィゴツキーは考える。
自己中心的な言語は機能的には内言であるが、発声されるという外言の形式を取っているので、内言の本質的な構造を究明するための手がかりとなる。なお、ピアジェは自己中心的な言語はヴィゴツキーとは逆に、内言から外言へと発達してゆくための途上にあると考えた。ヴィゴツキーは外言から内言という発達段階を想定したのであるが。
参考:神谷栄司『保育のためのヴィゴツキー理論』(三学出版)
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はじめまして。Maikoと申します。
保育士の資格勉強中に習ったウィゴツキーの外言と内言という概念が、語学学習にも役に立つのではないかと今日気づきまして、同じようなことを考えている人がいないかとグーグルで検索してみて、こちらにたどり着きました。
「日本語を介さず外国語で考えることができる=外国語が母国語のように話せるようになる」ためには、まず自分が習得したい言語に、様々な形でできるだけたくさん触れることが大事ですね(外言の習得)。そこから、次第に自分の考えなどがその言語で表現できるのではないかと思います(内言の習得)。たぶん、最初は独り言みたいに、習った言葉を反復したり、自分自身で会話の練習を勝手にするようになるのではないかと思います(←今、私はこの段階です)。
Maiko さんへ コメントありがとございます。今、外国語を習得中とのこと、まず外からたくさんの量の「ことば」を浴びることが大事と思います。そうなると自然と自分の中で、「ことば」の固まりのようなものが生まれてくると思います。すると、日本語を介さないで、自然と、その言語で思考することが可能になると思います。どうぞ、これからも勉強を続けてください。