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二つの領域

学習者が認知的に活動する領域を二つの同心円に分ける。外側の同心円と内側の同心円である。中側の同心円をZAD (Zone of Actual Development :実際の発達領域)とする。ここは、学習者がすでに学習して、内在化した領域である。外側の同心円は、学習者が教員や友人などの助けがあれば、理解できる事項が集まっている領域(発達の最近接領域ZPD : Zone of Proximal Development)を表している。なお、外側の同心円は、これからの将来に学ぶ分野であり、現時点では特に考慮されるべき分野ではない。

ヴィゴツキーの着目

この考えはヴィゴツキーの知見による。(ヴィゴツキー『言語と思考』)

2人の子どもを検査して、二人とも知的年齢が7歳だったと仮定してみる。私たちがこれらの子どもを調べてゆくと、2人の子どものあいだに本質的な差異のあることが分かる。ひとりの子どもは、誘導的な質問・範例・教示の助けによって彼の現段階の発逹水準を2年も超えるようなテストを容易に解くことができる。他の子どもは半年先のテストしか解くことができないのである。

ヴィゴツキーはこうして、子どもが独力で到達しうる水準(あるいは既に到達している水準)と教員のもとで共同的な学習で到達しうる水準との隔たりを「発達の最近接領域」Zone of Proximal Developmentと名づけた。

ここから、発達と教育の相互関係に関する一般原理が生まれてくる。子どもに与える課題は発達の最近接領域の内部に位置づくものでなければならず、もしその課題が発達の最近接領域よりも高い水準にあるとすれば、子どもは知識を形式的に習得する以外にはなく、また、もしその課題が発達の最近接領域よりも低い水準のもの(子どもがすでに到達している現在の発達水準のもの)であるならば、子どもは何一つ新しいことを学ばないことになる。このような意味で、ヴィゴツキーは「発達の先回りをする」教育こそ、真の教育であると考えたのである。

ヴィゴツキーにおいては、教育が発達を先導すると考えたのである。この反対の考えは、子どもは独力で知的発達を遂げるので教育は単にそのきっかけを与えるだけだとの考えだ。ヴィゴツキーは教育、それも共同体が与える教育に重点を与えている。

英語教育での活用

中学2年生くらいの学智者を考えてみ よう。その学習者は、規則変化の動詞を使っての過去形の英作文を行う。しかし、不規則変化の動詞については自信がないので、goの過去形にgoedを使っ たりする。すると、その点に関して、教師やクラスメート(グループ学習では)が助けてくれるので、wentを使った英作文ができる。独学よりも共同学習が学習項目の内在化により適しているとも考えられる。

つまり、この学習者は他の不規則動詞についは、1人ではうまく使うことができない。そうすると、この学習者にとって、規則動詞を使って過去形の英作文はZADに入っているが、不規則動詞を使っての過去形の英作文はZPDの中と言える。不規則動詞の過去形を書いて覚えたりし内在化すれば、ZADに入っ ていくと考えられる。そして、ZPDの外側には、他人の助けがあっても達成が難しい認知課題の領域と考えて良い。この学習者にとってはまだ学習してもいない現在完了形は、ZPDの外側と考えていい。そう考えると、学習とは、ZPD で学んだ事項を内在化して、ZADに入れてZADを広げていく過程を意味する。

教師の役割

学習者の言語習得を促進するために、教師は学習者が規則や語彙などを内在化することを促進しなければならない。宿題を出したり、小テストをやったり、 ビンゴゲームをしたりして、教師は学習者に復習をして内在化をさせようとする。これが可能なのは、教師が自分の担当するクラスの学習者のZADとZPD を概ね把握している場合である。しかし、現状は中学生の学力は同じクラス内においても多様化しているので、教師は個々の学習者のZPDとZADを把握 する必要がある。

このあたりの考えは、クラッシェンの提唱するインプット仮説(i+1 Hypothesis)と似ている。ここの学習者のZPD, ZADを把握しているという点では、teacher talk, mother talk をする教師や母親は学習者の現段階の言語水準を理解しているという意味で、似ている。

(参考、JACET教育問題研究会編『英語科教育の基礎と実践』三修社)

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