スポンサーリンク


どのような学習者になりたいか、というレポートを学生に課した。学生のレポートは英語の学習者に限らず、学習者一般についてのあり方であった。ここに紹介して若干コメントをしたい。なお、文はところどころ直してある。

私は、生涯にわたって学習し続けるような学習者になりたいと考えている。

 なぜ生涯にわたって学習し続けるような学習者になりたいのかというと、学習し続けることによって私の生活がより豊かになり、人生の基盤になっていくと考えるからだ。私は将来、教職に就こうと考えている。教員になったら、子どもたちに教科を通して、あるいは様々な活動を通して、これから生きていくうえで大切になることを教えていかねばならない。それは、命にかかわることもあるだろうし、もっていれば生活が豊かになる知識もあるだろう。そのことを子どもに教えていくためには、まず私が知っている必要がある。

以前、小学校の先生のお話を聞く機会があった時に聞いた言葉で、印象に残っている言葉がある。それは、「子供は教師の器以上には大きくならない」ということだ。「トンビが鷹を生む」ということわざがあるので手放しに賛成とは言えない言葉だと思うが、教員をするうえで大切な意識の一つだろうと感じた。

学び続ける子供よりも大きな器でいるためには、日々自分も学ばなければならない。つまり、教員という教える者であると同時に学習者であるということだ。具体的には、普段の授業のための教材づくりをしていく中での学びが挙げられる。子どもたちのとんでもない方向から飛んでくる質問になるべく答えるためには、自分の中に溜めてある知識がなくてはならない。そのために、授業内容の発展的なところまで調べて知っておくことで、私自身の学習にもなると考える。また、課外活動に出かけた際も、その場所で働いている方のお話を聞くことで、子供たちはもちろん私も共に学ぶことができる。

 このようなことから、日常の些細な事に目を向けて「どうやればこうなるのか」「どうすればいいのか」を常に探求し続けることこそ、生涯にわたる学習につながっていく。そして、生涯にわたる学修が行われることにより、私の人間としての基盤が大きなものになっていくと考える。

このレポートの印象的な点は、ポイントを絞って「学び続ける学習者」について述べている点である。さらには、学習者について述べながら、教員のあり方についても語っている点だ。この学生は、「学び続ける学習者」であり、将来は「学び続ける教師」へとつながってゆく。

「子供は教師の器以上には大きくならない」という小学校の先生の言葉だが、文字通りにとらえると、そんなことはあるかな、「出藍の誉れ」という言葉もあるではないか、と反論する人もいるだろう。これは、要は、小学校時代は、教師の影響が強くて子どもに一生涯影響を与えてしまうという事実を強調しているのである。私自身もこの年になっても、小学校の先生の何気ない言葉などよく覚えていて、ときおりの人生の選択に影響を及ぼす。小学校の先生の影響力は大だなと実感する。

さて、このレポートを書いた学生だが、小学校の先生の役割の重要さを自覚して常に学習する人であって欲しいと願っている。

スポンサーリンク