スポンサーリンク


異文化理解は非常に大切なことである。なぜ大事なのかと質問されたら、私は「二度と悲惨な戦争をおこさないために」と答える。異文化の人・異民族を殺したいと思うほど憎むのは、要はその時の為政者の洗脳が大きな原因なのだろうが、そんな洗脳に負けないような知的武装をさせるのが異文化理解教育だとおもう。平和教育とか国際理解教育と考えてもよい。

ただ、現代では、異文化理解=戦争防止という風までは学生や生徒は考えないだろう。もう少し穏やかな表現で答案は書かれていることが多い。とにかく、基本は自分と異なる文化・民族と共存する方法を探すことである。ここでは一人の学生の答案を紹介したい。


異文化を生徒に教えることはなぜ必要か述べなさい。

異文化を教える理由として、多様な視点の存在に気付かせて自分の視点との間に関連付けをさせることで、自分の文化に対する批判的な視点を養うことができるということが挙げられる。ただし、異文化を扱う際の注意点として、目に見え、分かりやすい表層文化のみを取り扱う段階に終始してしまうと、その国や地域に対するステレオタイプを促す可能性がある。

そこで、指導のプロセスとしては、まず、表層文化にみられる自文化との違いに気付かせ、その後、その表層文化に影響を及ぼしている思考などについて議論や省察をさせる。このようなプロセスを経ることで、一見異なって見える事象・行動でも、その事象・行動を引き起こしている思考に、自文化との共通点もあるということに気付きが促されるようになる。このような気づきは、ステレオタイプの克服に寄与する。

2017年3月に告示された新学習指導要領において、「外国語の背景にある文化に対する理解を深め、聞き手、読み手、話し手、書き手に配慮しながら、主体的に外国語を用いてコミュニケーションを図ろうとする態度を養う」とある。そのため、たとえ理解することが難しくても、他者と関わりを持ち続け、共に生きる関係を気付くために行動し続けることが大切であるということが言える。

異文化学習は、自言語・自文化とは異なる他者性との出会いを包括しており、学習者が自民族、自文化中心の者の見方からより文化相対的なものの見方へ転換することを助ける。これは、国際社会の構成員として、異なる文化的背景を持つ人々と共同しながら社会参画していくうえで必要となる能力の育成にもつながる。このように、異文化を教えるということは、文化に対する批判的な視点を養うことができ、国際社会の構成員として異なる文化背景を持つ人々と共同しながら社会参画していくうえで必要となる事柄であるといえる。

スポンサーリンク