2015-09-29 異文化交流と世界
記号とは?→ 広い意味での記号とは,〈ある事物・事象を代理するもの〉のことをいう。我々にとっては、文化的な生産物のみならず、自然も含めて全てが記号であると考えられる。動物ならば、匂いという感覚を通してあらゆるものが記号化されている。獲物の匂い、天敵の匂い、縄張りを示す匂い、異性の匂い、などすべてが記号に還元できる。
人間はより複雑な感覚を持っている。主に視覚と聴覚を利用して世界の記号を読み取ろうとしている。あるいは世界を記号化している。スーパーに買い物に行く。そこを記号化している。分類化している。安い物、値段の高い物、高級感の漂う物、安っぽい感じの物、原産地を見たりする。それぞれに自分なりに価値を与えようとする。しかし、記号化できない物もある。中年男性が化粧品のコーナーに行ってもそれらを自分に対して意味をもつ記号とは捉えられないのである。つまり個人によって記号化しやすい物としにくい物がある。
フランスの記号学者バルト(Barthes, 1972)によれば、記号には表面的に表れた明示的な意味(デノエーション)と内示的に示された意味、文化的意味(コノテーション)がある。デノエーションとは辞書にも示されているようなすぐに明確に意味が分かるメッセージであり、コノテーションは、その文化を知らないと読み解けないようなメッセージを含んだな内示的な・文化的・派生的な意味。
音声言語や文字言語だけでなく、絵画、シンボル(象徴的事物)、ジェスチャー、音楽(メロディ)、信号などあらゆる記号の意味作用をバルトは研究対象とした。それら多種多様な記号が、複雑に組み合わせられることによって、人間社会の意味ある事象(行動・儀式・演劇・娯楽・宗教・儀礼)が生み出されると考えたのである。
即ち、無限個の組み合わせを想定することのできる『記号の体系』は、人間社会の『意味の体系』の必要不可欠な原資となっているのである。現代社会において、記号(言語・映像・デザイン・音声・歌・象徴・イメージ)の生成・伝達・普及は、様々なメディアを介して行われる場合が多い。ロラン・バルトの意味作用を中心とした記号論は、テレビや新聞、インターネット、ラジオ、雑誌といったメディアが民衆行動や社会現象、世論形成にどのような影響を与えることになるのかというメディア論を射程の範囲に捕えているのである。
ロラン・バルトは、邦訳書の『神話作用』の中で、一般応用されることの多い記号論の概念『デノテーション(明示的な意味)・コノテーション(潜在的な意味)』に触れている。これは、人間が多様な記号世界の中で受け取るメッセージには、絶えず意味の二重構造の作用(デノテーションとコノテーションの作用)が働いていることを示している。
流行のファッション・スタイルをマスメディアで宣伝していれば認知度が上がる。『流行のファッションの外見』のデノテーションは、単純に『今、多くの人が購入している衣服』という意味に過ぎない。しかし、明示的な意味と同時に『(流行のファッションをいち早く取り入れている)お洒落に敏感な人だ』『私も最新のファッションを取り入れないと、イケていないと思われるかもしれない』というコノテーションの意味作用が生まれてくる。(http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/vision/es001/semiotics.html)
広告の表現は情報伝達という経済的記号行為だけではなくて、社会的・文化的イメージを消費者に与えるという文化的記号行為をも含んでいる。
外国人が登場するCM は15~20%に登る。日本人にとって、外国人が魅力あるCMの登場人物である。欧米種・白人種を使ったCMが数多く見られる。それらの商品を買うことで、欧米人がもたらす華やかさ・自由さを手に入れることができると考えてしまう。
白人が乗る高級車のCMを見る。コマーシャル自体は「高級車を買いなさい」という宣伝である。しかし、コノテーションは、白人は高級車に乗るだけの金持ちが多い。
外国人=白人種という結びつきを強める
ステレオタイプ的なイメージ、日本人は控えめである。日本人はイエスノーをはっきり言わない。アメリカ人はフランクである。これらは100%該当するとは言えない。しかし、かなり当たる部分がある。その意味ではステレオタイプを否定することはできない。
ステレオタイプのイメージはどこから来たのか。それはテレビや雑誌のイメージから由来している面があると考えられる。
アメリカのCMはいろいろな人種が登場する。アフリカンアメリカンやアジア人種もよく登場する。アメリカに住むさまざまな人種への配慮でもある。彼らをターゲットにしている。それだけ、人種に対する意識が高いし、自分の人種への誇りを感じている。日本では、単一人種に近い状態であったために、その点が無頓着である。
CMは日本人の白人崇拝の気持ちを利用しているし、それを利用されることで、逆に日本人の白人種への崇拝の気持ちが高まっていく。
必要なことは、そのような人間の心の動きを理解して、常に自分自身を沈着に見て行くことである。自分はどのようにして商品を購入していくか考えていくべきである。
これからのCMのあるべき姿は、単にイメージを提供するのではなくて、きちんとその商品の情報を提供してくれるもの、が必要である。消費者は商品を購入する時には、インターネットなどを介してその情報を得る。パソコンを購入しようとするならば、白人男性のエリートがパソコンを使っている姿のコマーシャルを見ても食指をそそられないであろう。それよりも、値段、保証期限、記憶容量、スピード、重さ、充電時間などを知りたいと思う。そのためにも、それに特化したサイトが出てくる。
企業によっては、自分が宣伝するのではなくて、他人に宣伝してもらう。まとめサイトを作ってもらい、そこで自社の製品が高く出るようにする。消費者が中立的な第三者が宣伝してくれた商品ならばと購入するのである。そのような消費者の心理を読んで逆手に商品を比較するサイトを作る場合がある。この場合はまったく偽りの比較サイトではなくて、自社の製品が有利になるように比較する項目を選んだりするのである。
単に「この商品は素晴らしい」と言っただけでは説得力に欠ける。賢い消費者はそのようなコマーシャルの時には心を閉ざしてしまい、はやくこのつまらないコマーシャルが終わらないかなと願うだけである。しかし、商品に関する情報も一緒に提供するならば、消費者はちょっと見てみようかなと言う気持ちになるのである。そこでは、1つの商品にたっぷり時間をかけて多方面から効用を紹介する。商品を使用した実験や体験者の感想などがたくさん盛り込まれているので、視聴者は商品を理解することができ、その商品の価値がわかり、購入に決意する人もいる。Informercial は information と commercial の2つの単語から作られた新しい単語である。テレビ広告の一種である。
異文化を理解するとは、商品の国際化が進んでいる。すぐれた商品は国境を越えてその価値が知れ渡る。中国人観光客による爆買い、化粧品、粉ミルク、電化製品である。商品の情報を偽ることは難しくなっている。フォルックスワーゲン社の排ガスの偽造など、一端明るみに出ると自社のイメージがとてつもなく傷つく。コマーシャルでは、イメージだけではなくて、商品に対するきちんとした情報を提供する必要がある。
参考書
伊佐雅子(監修)2013 『多文化社会と異文化コミュニケーション』三修社