2016-04-26
教育行政はアメリカは独立しているが、日本では中央集権である。
アメリカの教育の特徴は教育行政が独立していることである。日本の教育は、基本的には国が教育の方針や指導内容を決める中央集権的なシステムである。しかしアメリカでは、建国以来の地方自治重視の考え方に基づき、地域住民が直接選挙で選んだ教育委員が中心になって構成する学校区の理事会(School Board)が、その地区の教育行政を担当する。
アメリカでは自治という考えはあらゆるところに浸透している。The United States of Americaというようにstate (州、国家)が集まって連合体を作っている考えられているのだ。シェリフも住民の投票で選ばれる(警察の長は町長や市長によって選ばれるので、間接的に住民から選ばれると考えられる)、裁判員制度もしかり、住民が裁判を担当する。治安維持もしかりで、銃の保有は権利として認められているのは、この考えから生まれる。ドイトなどもアメリカ精神にのっとっている。とにかく、アメリカは自分たちで行う、自分たちで主張する、という考えが根強い。
学校区は、数万人の子供を抱える巨大なものから、学校1つだけで形成しているものまでいくつかある。学校教育に関する最終的な判断は、学校区が下すのであり、その判断に疑問を感じたら裁判所に訴える。裁判所の判決は学校区の判断よりも優先する。それは、教育の内容から、生徒の退学処分まで、さまざまな判断が行われる。学校区の理事や理事会が地元住民の意向に反する判断をした場合は、次の選挙で落選となる。
学校運営は教育長や校長がおこなう。
学校区の理事会は、教育行政の実務を担当する教育長(Superintendent)を採用する。この教育長の下に、各学校の校長や教員がいる。アメリカでは、教員は生徒指導・進路指導などの校務は分担しない。それらの仕事は校長の仕事となる。生徒間のトラブル、停学などの処分、これらは校長が担当する。つまり、教員は日本のように、全人格的に優れた「理想の教師像」ではなくて、知識を伝達する人、討論を進めるfacilitatorのような役割に限定されるのである。
給食に教員が生徒と一緒に食べることはない。生徒はカフェテリアに行く。そこの担当者の指示に従う。生徒は学校の掃除はしない。運動会、文化祭はない。入学式もない(ただし、卒業式はある)。制服、上履き、体操服がない。職員室がない。教員は自分の部屋にいて、そこに生徒は授業を受けに来る。
日本では生徒は学校への関与が少ない。
地域住民も教育に高い関心を持っている。
PTAなどは日本では、必要悪とみなされて、役員になることを保護者たちは避けたがるが、アメリカでは積極的な関与が見られる。地域社会が教育を成り立たせているという意識が強い。たとえば、小学校の遠足に親がついていく。同行する親は、子供の監督などで教員の手伝いをする。保護者は学校教育には積極的に参加して何が起こっているか知ろうとするし、積極的に意見をする。