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2016-06-14
音声と文字の両者では、音声が言語の源であることはよく知られている。むかし、言語学の講義で、視覚障害者の方が聴覚障害者よりも言語習得の速度が速いという説明を聞いたことがある。つまり、音声が聞こえる方が言語習得が容易である。つまりそれだけ、音声は言語の源に近いのである。(そんなことから、ヘレンケラーの言語習得では超人的な努力が必要であったことが分かる)
人類の歴史においても音だけの時代はきわめて長い。人々は話だけを行った。文字を知っているものはほとんどいない。官僚や僧侶のような知識階級だけが文字を知っていたのだ。小説を読むという文化はなかった。人々が楽しんだのは、落語、浪曲、浪花節なのである。弁士が語る演説会も大入り満員であった。政治さえも声の文化に取り組まれていたのだ。
そんな状況は普通教育の普及で一変する。小説に読みふける青年たち、新聞を楽しむ中高年、文字の文化の到来となったのだ。そして、ラジオとテレビが普及する。この時代は声の文化と文字の文化が両方とも栄えた時代であった。さらに、インターネット時代に入る。当初は、人々はインターネットで文字の情報を仕入れたのだ。しかし、実はインターネットには声の文化への復帰を示す点もある。それはYouTubeの普及である。映像も容易に見ることができるようになった。
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