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3.小学校での英語のインプット量

3.1 インプット量とイマージョン教育

現在の学習指導要領では、小学校の5年生と6年生の時に、週に1コマの英語活動を行っている。週1コマという英語のインプット量をどのように評価すべきか。「この程度の限られた量のインプットでは、覚えたことを定着させることは難しい」、「少々覚えたとしても、すぐに忘れてしまうのではないか」、「結局は、英語の語句をいくつか覚えること、つまり、断片的な知識を得るだけになる」、「いわゆる早期教育のメリットを生かすことはできない」との不満の声があがると思われる。

英語のスキルを教えるには、たしかに、週1コマでは時間不足は否めない。体系的にじっくりと教えるためには、週2コマ以上はほしいところである。しかし、数を増やそうとすると、小学校では重要な科目が目白押しである。算数や国語などは子どもの知的発達に必須の科目である。さらには、理科や社会などの科目も無視できない。これらの重要な科目のコマ数を減らして、英語のコマを捻出することは可能だろうか。

カナダなどでは、イマージョン教育(=目標言語漬けの語学教授法)の成功例がよく報告されている。しかし、成功したのは、フランス語という英語と類似の言語の習得を目標とするイマージョン教育であり、学校外でも、フランス語と普通に接触することができるという好条件があったからである。そのような条件のない、日本において英語のイマージョン教育はかなり難しい。

インプット量を増やす工夫の一つとして、社会や算数などを英語で教える授業例を報告している。教科横断的指導である。英語を英語の授業時間だけではなくて、他の教科の授業で使うのは小学校では、新しい試みである。これらは児童の知的水準にも応じて、英語を介して教科内容をも教えようという試みであり、同時にトータルの英語インプット量を増やすことにもなる。ただ、この方法は試行錯誤の段階であり、小学校で導入を云々するのは時期尚早であろう。

3.2 学習指導要領の改訂とコマ数

2014年11月20日の『日本経済新聞』によれば、正式教科でない「外国語活動」として実施している小学校英語の開始時期について文部科学省が現在の小5から小3に前倒しする方針を固めたことが報道された。3、4年は週1~2回ほど、5、6年は週3回実施を想定している。小5からは教科に格上げし検定教科書の使用や成績評価も導入する。早い時期から基礎的な英語力を身に付ける機会を設け、国際的に活躍できる人材育成につなげる狙いとのことである。今後、教科書の検定基準や評価方法などを検討して、中教審の議論を踏まえて学習指導要領の改定に着手して、2020年までの実施を目指すとある。

2020年の東京オリンピック・パラリンピックを見据えて、それまでに教育体制の整備を図ろうとしているようだ。小学校5・6年生で英語を正式な「教科」とすることや、教員の「英語力」を公表する仕組みを設けることで人々の小学校の英語教育への意識が変わっていく。正式の「教科」となることで、本当は望ましいことかどうかは別として、英語の点数をどのように上げるのかという点に児童や教員たちの意識が向かうようになるだろう。それは小学校の英語教育の是非自体を問う段階から次のステップに移ることになる。ただ、本質的なことを問うことがなおざりにされることがあれば、それは問題である。本質的な点がしっかりと共通理解されてから、次の段階へと進むことが望ましいのだが。

3.3 小中高の英語教育のこれからの動き

文科省の改革の動きを受けて、小学校から高校まで英語教育の場はかなり変化していく。小学校高学年では教科型となり週3コマ程度で、「モジュール授業(5)」も活用することになる。そこでは、児童の初歩的な英語の運用能力を養うのだが、そのためには英語指導力を備えた学級担任に加えて専科教員の積極的な活用を行うことになる。

中学校では、身近な話題についての理解や簡単な情報交換や表現ができる能力を養うことが目標となる。そして、これは物議を呼んでいるのだが、現実的に可能かどうかは別にして、授業を英語で行うことが基本となっていく。
高等学校では、これらの英語力の積み上げの上で、幅広い話題について抽象的な内容を理解できる、英語話者とある程度流暢にやりとりができる能力を養うことが目標となる。そして、授業を英語で行うとともに、言語活動を高度化(発表、討論、交渉等)することも目標として付け加えられる。

 これらの目標が実現可能かどうかはさておき、このような目標が定められたならば、中学校や高等学校でこれらの目標が可能になるようにするための土台つくりが小学校での英語教育の仕事になる。

3.4 インプット量、音声への敏感さ、発音の習得

多くの親が早期英語教育に関心を示すのは、早くから学べば英語が話せるようになるという考えを持っているからであろう。しゃべれない日本人としての反省から子どもには早く学ばせようとしているのである。それはいわば、親の若い頃のコンプレックスの裏返しである。

しかし、「小学生のころから英語に慣れ親しんでいれば英語が好きになる」や、「英語の聞き取りや発音が良くなる」というのは神話に過ぎない。もしも、それを可能にするならば、学校教育の半分の時間は英語で行うだけの覚悟が必要となってくる。早期英語教育を提唱する人は、子どもが音声を簡単に習得することを論拠に上げることが多い。子どもは語学の天才だと言われる。家族がそろって外国に移住すると、たしかに、子どもはしばらくすると現地の人と同じような発音をするようになる。子どもはやはり覚えが早いと大人たちから感嘆の声があがる。しかし、それは発音だけが、とりわけ頻繁に用いる言い回しの発音が、現地の人々の発音に似てきただけのことである。言語を論理的に展開した話し方ができるのではない。言語の完全な習得には、さらに長い道のりがかかるのである。

赤ん坊の耳は、あらゆる音を聞き分けることができるそうである。しかし、全ての音に対して開かれていることは非効率なことなので、次第に母語に使われる音にのみ敏感になり、他の音は無視するようになる。最終的には母語で使われる音のみを知覚して、無関係な音は知覚できなくなる。これは効率の点から見ても当然である。日本社会の中で、日本語の世界に生きるならば、日本語の音声のみに敏感になっていくのである。

日本という場所で、英語の音声の訓練をするということは、その自然の成り行きに干渉しようというのであるから、かなりの労力がかかる。週に1コマの英語活動の中で、あるいは英語の教科化が進み週に3コマの授業となったとしても、3コマ程度の授業数の中で、どのように音声を訓練していくのか。かなり難しいのではないか。

その場合には、考え方の180度転換が必要かもしれない。たとえば、アメリカ英語の発音を神経質に真似るのではなくて、日本人ならば日本式英語の発音で大丈夫と割り切ることも1つの考えである。

小学校のうちは音声面の訓練を中心にすべきと言われている。たとえば、音声を中心に、ゲーム・歌・チャンツを重視することである。現学習指導要領では、「外国語でのコミュニケーションを体験させる際には、音声面を中心とし、アルファベットなどの文字や単語の取扱いについては、児童の学習負担に配慮しつつ、音声によるコミュニケーションを補助するものとして用いること」とある。文字指導はあくまでも補助であり表舞台に出てはいけないようだ。たしかに、諸外国の例をみても、導入のはじめは音声中心である。

発音向上につながるためには単に音を聞かせるだけではうまくいかないことが多いので、一工夫が必要である。教員の発音の訓練は是非とも必要となる。小学校の段階では、島岡メソッド(6)の活用も可能と思われる。それは、綴り字にこだわらず、英語の発音に近い片仮名で英語の発音をイメージすることのほうが、有効な発音矯正ができるとの考えである。たとえばdrinkという綴りから想像する音よりも、ヂュインクのほうが通じやすいとの考えである。

小学校では音声重視だけでよいかどうかは、実は疑問である。小学生でも学年があがれば、その知的レベルは上がっていく。とりわけ、小学生の高学年ならば、知的な観点からの学習に強い関心を持つようになっている。文字指導や文法を教えることは彼らの知的な刺激に役に立つことでもある。書き言葉と文法の指導は小学校英語にとってタブーであるとは思えない。ある程度のレベルは許されるべきではないか。文字指導を積極的に行った方が効果的であっっという報告はいろいろなところで見ることができる。

3.5 文字指導の問題

英語が英語活動から教科へと格上げになると、どうしても「文字指導」が必要になる。外国語活動の一種としての英語活動では、「素地」を養うことが目標なので、そこでは、文字活動はさほど重視されてこなかった。しかし、教科化として本格的な英語を教えるならば、文字指導は、少なくともある程度は役に立つだろう。言語活動をする際に 例えば「Do you like ◯◯ ?」 と書いた紙を見て、インタビューゲームなどをやると音と文が一度に取り入れられ、学習効果がある。また、小学校の高学年の児童はある程度は知的レベルも上がるので、英語の文字や文を書くことに興味を持ってくる。これらの知的好奇心の発展を活用するのが望ましい。

いずれにしても、文字指導をどのように発音指導に結びつけるかが一つの問題である。フォニックスの指導を取り入れるのも一つの方法である。フォニックスには、児童が正しい音声習得ができるようにするために、文字指導を行うという面があるし、同時に英語の文字のスペルの面白さ深さを教えるので、児童の知的な関心を刺激する面もある。現在は、全体で週1回という限られたコマ数のもとでは、課外授業やクラブ活動のような、あくまでも補助的な時間内にフォニックスで教えることになろうが、学習指導要領の改訂を切掛けとして、週に3コマの授業が可能になるならば、本格的にフォニックスを教えることも可能だろう。

このように、音声の習得という観点からは、授業のコマ数は少なすぎるのではという疑問がでるだろう。そのために補うことで、上記の島岡メソッドやフォニックスの指導を補助的に行うこともよい考えであろう。ただ、ここで英語活動の目標を明確化することで、週1コマの活動でも有意義となる点を指摘しておきたい。それは、英語活動の目標を音声の訓練というようなスキルの習得とするよりも、国際理解教育を中心におくことである。それならば、週1コマでも十分に満足のいく結果が得られる。その点を学習指導要領の中味を見ることで検討してみたい。

(続く)

 

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