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英語教育に関しては、次のような意見がある。英語とは、学校で特に勉強することではない。技能の訓練であるから、水泳教室やダンススクールと同じで、塾や専門のスクールなどに任せておけばいいとの意見がある。
ここで、「学校の英語」と「塾、専門学校、英会話学校の英語」との違いを考えてみる。学校の英語とは、学習指導要領、学校教育法、学校教 育法、教育基本法に基づいている。そして、教育基本法の第 1条の「教育の目的」には人格の完成をめざすことが挙げられている。つまり、学校での英語教育は究極的には、人間形成が目的になっていると考えられる。塾、専門学校、英会話学校の英語では、目的は大学を合格するためにとか、海外旅行をするに最低限の英会話能力を身につけるとか、英文のマニュアルを読むためとか、それぞれの個々の事情によって異なる。
もちろん、「学校の英語」でも技能の向上を目指すのであり、「塾、専門学校、英会話学校の英語」でも人間生成に大いに役立つ面がある。ただ、主たる目的となると「学校の英語」では人間形成である。
以上のような点を背景として、学校での英語教育の目的は、次のようになる。
(1) 英語の知識と技能(リスニング、スピーキング、リーディング、ラ イティングの4技能、最近はCEFRの影響もあり、スピーキングを人前で行うパブリックスピーキングと相互交渉、いわゆる会話に分けるようになってきている、この場合は5技能になる)を身につける。相手の言ったり書いたりすることを 正しく理解し、自分の考えや気持ちを適切に表現できるようにする。人格形成の視点からは、教材の選択などはその面から考慮されるべきである。
(2) 外国語を通じて、積極的にコミュニケ一ションを図ろうとする態度を育成す る。コミュニケーションをする場合は単に言葉だけに頼るのではなくて、様々な工夫を取り入れながらコミュニケーションを図ることが大切である。例えば、ジェスチャーを使ったり、顔の表 情、声の調子を変えたり、絵を描いたり、他の言葉で言い換えたりして、何とか自分の考え や気持ちを伝えようとする態度が育つようにする。
(3) 外国語を話す人々の言葉や文化に対する理解を深める。外国語を学ぶことで、外国の人々の文化を理解して、自民族優越主義(ethnocentrism)に陥らずに、異文化を理解する態度を育成する。この場合は、英語圏の文化とは限らずに、広く外国文化一般を取り扱う必要がある。英語圏の文化のみを扱うと、外国語=英語、外国人=アメリカ人、というような図式に陥る危険がある。
(4) メタ言語的な知識を習得して、知的訓練を行う。 英語の語源、音声、語彙、統語についての知識を覚え、理解することで、母語とまったく異なる 言語構造を学ぶ。これらを理解し産出する訓練を行うことで、母語の理解にも役立つのであり、有益な知的訓練である。
(5) 人格の形成を図る。学校教育の根底をなすものである。外国語を話す他者との共存は、国際紛争の回避、世界平和の実現のために必要であることを理解する。
これらの目的を単に、実用目的か教養目的かと一つに帰着させるのは難しいであろう。あえて言うならば、外国語を学ぶことで、外国語を使える技能を持った人間を育てると同時に、外国文化を理解する教養人を育成することが目的であると言えよう。