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国際語として英語だけが選択されると、英語を母語としない人にとっては、いろいろと不利益なことが起こる。英語を母語とする人には便利なことかもしれないが、英語を母語としない人(非母語話者)にとっては、非常な不利益を被る。例えば、外交交渉の時には、自分の母語でない言語を使って交渉しなければならない。英語が国際語になれば、言語習得に必要な時間や費用、最終的な習熟度などさまざまな点で、英語母語話者だけが得をする。英語を何とかより中立的な地位に置くことはできないだろうか。
その点への配慮から、英語を国際語と呼ぶよりも、国際補助語という言い方が適切と考えられる。要は、国際間のコミュニケーションを可能にするための補助語であるという認識である。これならば、英語が第一の言語であり、他の言語は劣等な言語であるという認識は弱まる。
真の意味の言語間の平等を求めて、エスペラントのような人工的国際語が歴史上いろいろと提案されてきた。現実には、人工言語の普及は英語には、はるかに及ばない(エスペラント話者は、約100万人と言われる)。現実的には、英語が国際語である点を受け入れた上で、英語母語話者だけが得をする状況を是正していく必要がある。なお、エスペラント以外の国際語に関してもいろいろな試みがされてきた。それらは次の年表に、人工語の歴史が示されている。
そもそも、英語が現在最大の国際補助語として機能しているのは、19 世紀にイギリスが世界進出して多数の植民地を持ったこと、20世紀以降のアメリ力の政治・軍事・経済・文化・ 技術などの優位性が理由である。特に英語が言語的に優れていたということではなくて、歴史的な偶然から最大の国際補助語となったのである。
英語の学習者の認識としては、世界の言語はすべて言語学的には平等であり、そ の背景となる文化にも優劣はないと考えるべきである。しかし、現実には、英語偏重 という現実がある。この状況からは、世界中の人間が英語を話せて当然であるとか、英語文化が最高の文化であり、それを受け入れるべきとの考えも出かねない。
事実、これらの考えに対して、英語帝国主義、英語支配、English Imperialism などの表現を用いながら批判する考えがある。これらの批判には耳を傾けるべき点がある。英語の学習者としては、英語が最大の国際補助語であるからといって、英語万能主義や英語 文化崇拝に陥ることのないように心がけるべきである。それぞれの言語や文化は平等であり、それぞれの価値を持っているという点を踏まえて、国際間のコミュニケーションのために、国際補助語としての英語を学習するのだという認識に立つべきである。