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自分は「英語教育法」という授業を持っている。それで、主に、理論的なことを教えているが、イマイチ学生のノリがよくない。もう少し、実務的なことを教えるべきではないかと考えていた。
たとえば、クラスのサイズ、机の並べ方、グループを作るときの分け方、授業時間の配分である。これらの点がかなり大切ではないかと考えるようになってきた。学生が教員になったときに直面する問題はむしろそちらの方が多いのだ。
そんなおり、ある塾を経験した人のブログを読むことがあった。面白いと思ったので下に記す。
塾の事務所で二日間、指導マニュアルの説明を指導された。すべてが新鮮だった。(指導されたことは)まず教壇に立ったときの身体の位置は必ず生徒から向かって右側に置くこと。授業するときに教材を手にもってはいけない、手に持つと視線が教材に向き、生徒からそれてしまう。
板書をするときに黒板に身体を向けず、教室の中央向きで生徒に語りかけながら板書をする。言葉遣いは必ず、ですます調で話す事。授業に出る前はかならず教材に目を通しておくこと。
塾の講師として最初にぶつかる問題は、生徒のおしゃべりを辞めさせ、授業に集中させることから始まる。どんなにすばらしい授業でも生徒同士が私語を交わし、講師の話を聞いていなかったら意味がない。
この場合「うるさい!」「静かにしなさい」は現象面を語っていることに過ぎず、生徒はどうすればよいのかわからず、また同じことを繰り返す。「はい、鉛筆を置きなさい。手は膝に置くこと」そして黒板の前に直立して私語がやむまで待っている、それまで次の動作に入らない。 http://gyaox.xyz/2016/12/17/塾講師になった/
このあたりは非常に大切なことだと思う。学生が教員として授業に臨んだときにまず直面するのはどうしたら私語を止めさせるかの問題である。怒鳴っても駄目だ。生徒の関心を引きつける授業をすればいいというのが理想論だが、とにかく授業に集中してもらわなければならない。そのためには、型から入る。「はい、鉛筆を置きなさい。手は膝に置きなさい」と体を整わせることで、私語をすることがいったんストップする。それから授業に持って行く。このあたりのタイミングは大学でも教えてもいいことだと思う。
それから、「授業をするときに教材を見ない」というのは確かにそうである。常に学生の方を向いていることは重要だ。
板書の書き方も難しい。字の大きさはどの程度か。右側から書くか、中央から書くか。すぐに消すのかどうか。今は英語は筆記体は学生も分からないので、すべてブロック体で書くようにと言われている。
教員の個性をどの程度、出していいのかも分からない。ある程度は授業の初めに場を和ませる冗談は必要だろうし、また時々はジョークも言うべきだ。ただ、この授業を受けて自分は何かを得られたという実感がないと学生・生徒はのってこない。
この塾講師のブログを読んでいろいろと考えさせられたのである。