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先日のブログで、学習者にはどのような特質があるか、教室ではどのようなことに注意すべきか考えてきた。ここでは、教員はどのような存在であるかについても考えてみたい。まず、用語に着目する。

はじめに、「教員」と「教師」という言い方に注目してみよう。「教員」はやや中立的な言い方であり、教員が自分自身を示すときは「教員」という言い方がおさまりが良い。「教師」という時は、「師」という言葉に見られるように、「人の模範になる、生徒のモデルとなる」という意味合いが強くなる。それゆえに、「理想の教員像」よりも「理想の教師像」が言葉としてはなじみやすい。

なお、教育基本法の第九条では、「法律に定める学校の教員は、自己の崇高な使命を深く自覚し、絶えず研究と修養に励み、その職責の遂行に努めなければならない。」とあって、「教員」という表現が使われている。また免許状は、「教員」免許状である。さらには、「教育職員」という言葉もある。

さて、そのほかに、「先生」「教諭」「教官」「教授」というさまざまな言い方がある。これらは慣用的に幾つかの使い分けがされている。「先生」は、相手に対して付ける表現であり、「山田先生」のように使われる。生徒が教員に話しかけるときや、そして、教員同士が互いを呼び合うときは、「〜先生」という語をつける。一番なじみが多い表現であるが、学問的というよりも日常的に使われる語であるので、このブログのように英語教育学を論じている時は、あまり使われない。

「教諭」とは中等教育と初等教育で教育に携わる者を行政上でそのように呼んでいる。法律や行政の用語であり、日常会話で使われることは少ない。

「教官」とは、「官」であるので、国公立大学の教員を指す。それ以外に国立の防衛大学校とか気象大学校なども教「官」である。自動車学校の教習所指導員は通常は「教官」と呼ばれることは多い。これは慣用的に「教官」と呼ばれるのだが、教習所の指導員は元「警察官」が多いので、「~官」と呼んでもさほど違和感はない。

大学や高専などの高等教育の場では、「教授」という表現が使われている。なお、大学では、「専任講師」「准教授」「教授」などと身分が分かれている。

 

 

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