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文法訳読法(Grammar Translation Method) は、受験勉強と結び付けられて、よく悪口を言われることが多いです。その意味では、現代では、人気のある教授法ではありません。しかし、そんなに悪い方法なのでしょうか、この文法訳読法をいろいろな視点から考えてみましょう。

 歴史的背景

西洋の古典学習

この教授法の源流は西洋におけるラテン語(また、ギリシア語)の教育にあります。中世の当時、すでに一般には使われることのないラテン語が重視されたのです。その理由は、複雑な文法ル—ルを暗記して正確に翻訳することが頭脳の訓練になる、また古典文学を直接読むことで、人間性が高まり教養が豊かになる、という信念がありました。ラテン語教育はエリ一ト達の知性と精神を鍛える知的な鍛錬だと考えられていたのです。

文法訳読法は伝統的教授法から生まれた外国語教授法です。 学習者は本文全体を一語一語母語に訳します。学習者は文法規則と語彙のリストを暗記します。この教授法のゴールは、古典文学を読んで訳 すことにあります。授業は母語で行われます。一般に教科書の各章の始めに、習得しようとする言語の語彙のリストがあって、それを覚えます。さらには、学ぶべき文法の要点が本文内にあります。文法の要点は本文の文脈上で提示されています。教員は文法の要点を入念に説明します。この時には、言語の発音やコミユニカティブな面には、ほとんど注 意は払われません。読解に焦点が当てらるのです。訳すことができれば、読解できたことになります。

音声に注意が払われなかった理由ですが、ラテン語やギリシア語はすでに死語であり、実際に使っている言語集団はきわめて希であったからです。

オランダ語の学習

日本では文法訳読法の起源はオランダ語習得の方法に遡ることができます。大阪の適塾では、塾生が一冊のオランダ語の辞書を共有しながら、オランダ語原文の意味を和訳しようと努力していました(その様子は福沢諭吉『福翁自伝』に描かれています)。そこでは求められていたのは日本語による完全な理解です。これには、2段階が存在しました。最初の段階は「素読」(すどく)です。語の意味を考えずに読むのです。学習者は文字を追って声に出して読みます。第2段階は「会読」(かいどく)です。一人の学習者がオランダ 語のテキストを読み上げます。すると別の学習者が読まれたテキストの和訳を言います。もう一人の学習者が読まれたことに関して質問をします。そんな風にして、互いに和訳を検討しながら理解を深めていたのです。蘭学の重要な文献は翻訳されたのです。

開国によりオランダ語以外の言語への関心が高まりました。英語、ドイツ語、フランス語の3言語が教育の場では重視されるようになりました。この英独仏の言語で書かれた文献を完全に理解することで、日本の文化を高めていったのです。当時、人々が日常生活の場で、これらの外国人と接することは希でした。その意味では、接触可能な文献を読みあさることを重視したのは当然でした。

第二次世界大戦後

第二次世界大戦前は、 日本の英語教育は主に文法訳読法で行われました。戦後の英語教育の現場でも、つい最近までは、この方法が行われてきました。しかし、現代では、コミュニケーション重視の教授法が提唱されています。教育の現場でも、教員と生徒との対話、生徒同士の対話、討論、クラスで皆の前での発表、英語ゲームなどが取り入れられるようになってきました。

さて、なぜ文法訳読法は問題となったのでしょうか。

文法訳読法の問題点

教育の大衆化

文法訳読法の授業では書き言葉が中心になります。語彙や複雑な文章表現の解読が 強調されます。反面、音声や話しことばが軽視されます。その結果大部分の学習者は、長年の学習にも関わらず日常的な言語使用ができないことがあります。さらには、話し言葉を軽視するようになります。

英語教育は大学を卒業して英語の専門書を読むことを想定するならば、効果的です。しかし、ほとんどの子どもたちが高校に行き、大学進学率も高まった現代では、後期中等教育も高等教育もエリート対象ではなくて、一般を対象とする教育となりました。一般の人が気軽に外国に行き、また外国人も大挙して日本に来る現代では、話し言葉としての英語が重視されるようになりました。そのために、文法訳読法の想定する場面と現代で必要とされる場面との間でミスマッチが生じているのです。

文法訳読法から生まれる言語観

文法訳読法は二つの言語を置き換えてゆきます。つまり、逐語訳を重点的に行うことで、2言語間に一対一の対応があると信じてしまう危険性があります。そして逐語訳を内容理解と混同してしまう恐れがあります。

外国語を勉強すると、異言語・異文化を理解することがいかに難しいか分かるようになるのですが、文法訳読法からは、外国の文化と自国の文化は単なる互いの置き換えであると皮相的な見方をしてしまう恐れもあるのです。

日本語(母語)を用いる場合とは

授業においては、説明は母語を用いて行うべきとされています。しかし、外国語学習で母語の使用が許されるのは、以下のような場面にとどめるべきと言われています。

①入門期のごく最初の時期
②新しい文法事項の説明
③readingやlisteningのあとの内容理解のチェック
④どうしても分からない箇所の説明

さらに、学習者の英語への接触量を確保するためにも、教員は逐語訳はもちろん、母語の使用自体を必要最低限に押さえるべきである、と言われています。その意味では、授業においては、大半が日本語である文法訳読法という授業スタイルはもってのほかと言えるでしょう。

今後の展望

本格的な文法訳読法は多くの学校での授業では使いづらくなっています。ただ、訳読法から派生した教授法に,読解力を仲ばすことを主たる目標にした Reading Methodがあります。ここで、開発された graded reading, extensive reading などで用いる教材や手法は、補助教材として教室外で活用することができます。Readingは本物の言語への接触量を確保する、最も手軽で確実な方法です。今後もこの方法は開発されるべきです。

また、専門分野では、たとえば医学や工学の専門家の会議では共通の知識があるので、語学上の困難を乗り越えて意思疎通が可能と考えられます。このように、言語間の「差異を越えた共通性が見られる」から、翻訳を外国語学習に積極的に利用することも可能です。学習者が母語で持っ ている知識を、外国語学習に活用することができるのです。

高度な文法能力は正確な読み取り、正確なwriting、正確な public speaking には必要です。その意味ではやはり学校教育の場では必要でしょうか。この場合は、選択制にして必要とする生徒には選ぶ機会が与えられるべきです。

生活言語能力と学習言語能力の視点から(私見)

この章では私見を述べてみます。言語能力を生活言語能力と学習言語能力とに分けて考えてみましょう。言語学習の目標を生活言語能力の習得に置くならば、コミュニケーション重視の教授法でいいと思います。しかし、学習言語能力の習得まで目標とするならば、別の方法になります。最も早い方法は、母語の学習言語能力を活用して、第2言語の学習言語能力をまず修得する。そして、それを土台にして生活言語能力の習得を目指す。それが、一番手っ取り早い効率的な方法だと思います。一概に文法訳読法は非効率的であるとは言えないように思えます。戦前の語学教育は無意識のうちにそのような順番で学習してきたと思います。

多くの中学や高校の英語教育では、生活言語能力を身につけることが第一目標です。それ以上の目標はないとなれば、コミュニケーション重視の教授法が中心となります。しかし、学習言語能力まで習得を目標とするならば、正確な読み書きの知識が必要です。それは十分な文法知識が前提となるのです。正確な読み書きができて、正確に聴き話すができるのです。

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