Humanistic Educationの起こり
Humanistic Educationの運動は、1960年代後半から70年代にかけて、 アメリカやイギリスで盛んになりました。今までの教育は、あまりに認知的な面を強調してきたが、これからは、真の教育のあり方として、学習者の全人教育、すなわち人間主義的教育が必要と述べています。この運動は、教育で知的側面だけが重視されることに反対して、人間には知性と情意の 両面があるのだから、この両面を統合してこそ真の教育でありうると主張したのです。
そこでは、読み書きの技術は、文学的知識のためではなく、人間的成長に貢献 するものでなければならないと主張したのです。こうした発想が外国語教育にも取り入れられてて、ユニークで興味深いテクニックを生み出していきました。その特徴は言語活動が、情動的な目標を中心に組まれていて、言語的目標は補助的に位置づけられて いることです。
授業の例
例えば、”Suppose you weren’t you.” という練習では、想像力を使っ て自己を内省するという情動的目的と条件仮定法の練習を行います。さらには、異なるカテゴリ一の語彙の練習という目的のもとに、If you were a color, which color would you be? Why?などの12のカテゴリ一が与えられます。グループの中で順番に If I were a color, I’d be yellow because it’s warm, bright and full of energy.というように発表をします。クラス全体で、何人かがグループを代表して発表しますが、その時は、全員が聞く ようにします。
他には、Relating to Others (人間関係)という練習“I see myself in you.”では「仲間との一致 点を発見する」という情動的目標と、「weの練習」という言語的目標が設定されます。級友の誰が、考え方、感じ方、信念、価値観、行動、人格、容貌、アイディアなどの点で、自分と共通点を持っているか、誰が最も多く共通点を 持っているかを発見するのです。それが誰であるかを、言語交渉を通して発見し、ノートするという活動を行います。たとえば1人の学習者は、口頭での言語交渉で、Taro is frank. I am frank, too. We are both frank. We are common in personality. という発見をして、それをノートするわけです。
日本での適用の可能性
日本の中学や高校での適用の可能性ですが、難しい面があります。CEFRでA2レベルの生徒が多い中で、このままの形での練習例を定期要することは困難です。ただ、言語学習の目的や言語活動の設定に関し て、いくつかの有益なサジュスチョンを与えてくれます。
つまり、曰本の英語教育の中で、英語学習を文法中心の練習から解放し、生徒に自己表現や、他者との協同・連携の機会を与える練習となりえるのです。
(参考:望月編『新学習指導要領にもとづく英語科教育法』(大修館書店)、米山・佐野編『新しい英語科教育法』(大修館書店))