ネイティブとノンネイティブの教員の評価の違い
英語の話しことばの誤りについて、ネイティブの教員とノンネイティブの教員には評価の違いがあるようだ。一般には、ノンネイティブの教員は発音や文法 により厳格だと言われている。ところが、ネイティブの教員は、言語形式よりも内容や談話の構造を重視する。つまり、ジェスチャーを用いたり、知らない表現は他の表現法を用いたり、相手に質問したりする、いわゆるコミュニケーションストラテジー(communicative strategies) を使用して、自分の意図を伝えようとする学習者の努力を評価する。
どの点に着目するか。
ネイティブの教員が直面する文法的な誤りでは、一般に名詞句よりも、動詞句を意識する傾向がある。つまり、冠詞や複数形などよりも、時制や人称の一致、語順、接続詞などの用法がより重要になる。逆に言えば、ノンネイティブの教員が見つけることのできる文法的な誤りは、冠詞や複数形などの形式的な面にしか及ばないとも言える。逆に、ネイティブの教員が英文を読むと、細かい文法的な間違いは脳内で補正をしてしまう。つまり彼らは、論理の流れに集中してしまうのだ。そして、つまり論理の流れがしっくりいかない部分に関心が行ってしまう。
それゆえに、ネイティブの教員は英文を見るときに、接続詞の使い方、代名詞が何を指すのか、語順などに対してうるさくなる。英文自体は文法的に間違っていなくても、論理的におかしい場合は、訂正を求めるのである。
日本人の英語教員はどのような授業を心がけるか。
日本人の英語教員としては、たしかに、学習者の発する英語の正確さを無視することはできないが、完全さを目指すあまりに、授業の大半を機械的にコントロールされた練習ばかり行うのは明らかに問題である。さらには、文法や発音が正確だからといって、ネイティブスピーカーに好かれるわけでもない。やはり中身がともなっていないとコミュニケーションをしたいと相手は応じてくれない。
人間のコミュにケーションが成立する上で、何が大切かを日本人の英語教員は自覚した上で、形式と内容のどちらに重きを置くか考えるべきである。